平成20年1月12日 土曜日 晴れ 中山道1日目 日本橋〜板橋宿 | |
中山道も歩き始める 石部宿から終点の京都三条大橋まで残して、東海道をいつ歩くか考えていた。 やはり滋賀県はあまりにも遠く、そう簡単に歩きに出かけられる距離ではない。しかも、 行く以上はゴールまで歩かなければ交通費がもったいない。そんなわけで、1月は 東海道に出かけないので先に中山道歩きをスタートさせることにした。 |
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〈中山道も日本橋からスタート〉 |
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〈木曾街道続ノ壱 日本橋雪之曙 英泉画〉 |
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広重の風景画「東海道五拾三次」(1834年完成)で大当たりした版元の保栄堂竹内孫八が、次のシリーズと して「木曾街道」の出版を計画し、美人画の浮世絵で知られる渓斎英泉を起用して「木曾街道六拾九次」の 制作が始まった。天保6年(1835)のことであった。 完成は天保13年(1842)であったが、途中から歌川広重にバトンタッチされ、全71点のうち英泉24点、広重 47点の木曾街道(中山道)の風景画が今に伝えられる。 (中山道を歩く 山と渓谷社) |
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〈日本橋から中山道を見る〉 |
〈三井の荘厳なビル〉 |
〈風格のある丸石ビル 仕事で来たことが〉 |
〈現代の中山道は近代的なビルが続く〉 |
〈神田明神に立ち寄ってみる〉 |
〈初めての神田明神に参拝〉 |
〈モダンな波除け?〉 |
〈有名な甘酒屋さん〉 |
東大を散策 神田明神を参拝してさらに歩くと、右手に東大赤門が見えてきた。一般の人も出入り自由のようなので、喜多さんと二人東大構内を散策する。 都心にこのような広大なキャンパスが可能なのは東大ならではだろう。受験生らしい親子が下見に来たのだろうか連れだって歩いているが、弥次喜多夫婦は親も子も東大には縁がないので早々に立ち去ることにする。 優秀な同級生が東大駒場寮に住んでいたので、何度か麻雀をしに行ったことがあるが、莫大な税金が使われていることだろう。東大生諸君、しっかり勉学に励んで日本のお役に立ってくれよ。 |
〈東大赤門 加賀前田家上屋敷の御守殿門〉 |
〈東大キャンパス〉 |
〈学生運動の象徴だった安田講堂〉 |
街道歩きの昼食 しばしの東大生気分を味わった弥次喜多道中は、白山あたりでちょうど昼食時になったので、街道沿いの寿司屋さんに入ることにする。 この辺りは大都会なので、昼食に困ることはないが、旧道沿いには食事ができる店などないことも多く、東海道でも甘く見て昼食が取れないことが何度もあった。 寿司は安くておいしかったので、ちょっと得した気分で続きを歩く。 |
〈延々と続く東大の塀〉 |
おばあちゃんの原宿 巣鴨駅を過ぎたあたりでものすごい人の波だ。 すぐ先を左の道に入ってゆくと、ここが「おばあちゃんの原宿」、「とげぬき地蔵」のある巣鴨商店街だ。 話には聞いていたが、さすがに年配の女性が多く、やたら赤い下着が売られている。 和菓子屋さんが多いのもこの商店街の特徴で、おばあさんが好みそうなものがすべてそろっている感じだ。 おばさんとおばあさんの人波をすり抜け北上すると「庚申塚」があったので寄ってみた。ずいぶん古くからあるものらしい。 |
〈巣鴨地蔵通り商店街はかつての中山道〉 |
板橋宿に到着 今日のところは約10kmの行程で楽勝だ。 都営三田線の「新板橋駅」から三田駅まで都営地下鉄で、三田から品川経由で京急線に乗り上大岡まで帰る。 このあたりは、東海道と違って旅情もへったくれもないぞという感じで通勤線に揺られて帰る。 |
〈巣鴨庚申塚〉 |
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