〈九日目〉 平成23年4月24日 日曜日 晴れ 大月宿〜花咲宿〜初狩宿〜白野宿〜笹子駅
東日本大震災

 それにしても、3月11日の大震災にはびっくりした。生きている間にあんな光景を目にするとは思いもよらなかった。津波の怖さは聞いていたが、水の力のすごさを改めて思い知らされた映像だった。

木造の家はあんなにも軽々と流されていくものなのか。Googleの地図では、すでに震災後の航空写真に切り替えられていて、東北地方の海岸近くの土地からは家がなくなり、店や会社の名前だけがむなしく表示されている。


海水が引かないまま水没した土地もあるようだ。自分の土地が海になってしまった人の無念さはいかばかりだろう。小学生の頃、「ムー大陸」や「アトランティス大陸」が海に沈んだ話が、子供雑誌によく載っていたが、このような光景を目にすると本当にあった出来事のように思えてくる。

〈乗換駅 高尾駅の天狗〉
 地球の表面に生きる我々は、地球が少しくしゃみをすれば、吹き飛ぶほどの小さな存在だ。現在の五大陸だって「パンゲア」という一つの大きな大陸が1億年以上もかけて少しずつ動いた結果だ。インドは南からやってきてアジア大陸にぶつかり、ヒマラヤ山脈を作った。伊豆半島だって南からやってきて、沼津あたりにぶつかって今のような地形になったのだ。

人間の文明などせいぜい何千年の歴史しかない。文字が発明される以前に、どのような大災害あったかはわからないし、近い将来に今回よりもっと悲惨な大災害が起こらないという保証は全くない。

人間はもっと謙虚に生きるべきであろう。

東北の被災者の方たちの礼儀正しさや譲り合いの精神が、世界中の称賛を浴びているそうだが、これが東京や大阪の人たちだったらどうであったろう。東北の人たちのように辛抱できただろうか。非常に疑問に思う。

〈大月駅からスタート〉
久しぶりの街道歩き

 しかし、来るか来ないかわからない地震や、大隕石の衝突などを恐れておびえて暮らすのもつまらない話だ。

少し平安を取り戻した弥次喜多道中は、久しぶりの甲州道中に出かけることにした。振り返れば1月に歩いてから3カ月以上が経っている。

今回は、時間を確実に有効利用するために磯子駅から「ホリデーパス」で、前回歩き終えた大月駅までやってきた。

〈大月駅からの甲州道中〉
 
〈桂川にかかる大月橋のたもとの富士道との追分道標〉

〈富士急行とJRを越えて左の道に入る〉
下花咲一里塚跡

 一度国道20号線から外れ、旧道があったと思われる道を歩いたが、再び国道に合流してしばらく行くと、道の反対側に何やら史跡があるようだ。見ていたら「公正屋」というスーパーの駐車場の警備員の人が、車を止めて向こう側へ渡してくれた。

一里塚らしく土が盛ってあるが、どうもこれは復元した一里塚のようだ。

〈下花咲一里塚跡〉
 
〈ガストの向こうの建物は下花咲本陣星野家〉
 
〈例によって明治天皇御小休所とある本陣〉
下花咲本陣星野家

 これまでの甲州道中では、日野宿と小原宿の本陣は上がりこんで見学してきたが、この花咲本陣では残念ながら「東北関東大震災の状況に鑑み見学も当分の間中止いたします」とのことだ。

震災の影響は、このような甲州道中にも押し寄せている。確かに被災者の方々のことを考えると、はしゃぎすぎるのはいかがなものかと思えるが、あまりに自粛しすぎるのもまたいかがなものかと思ってしまう。

仕方ないので、あきらめて続きを歩く。

〈大震災の影響で見学もできない〉

〈家の壁には大きく名字が これなら郵便屋さんも迷わない〉

〈旧道は右の道なのだが行き止まり〉
 
〈行き止まりの旧道には二十三夜碑が〉

〈きれいな花があちこちで咲く〉

〈手打ちうどん屋さん〉
手打ちうどん屋さん

 甲州道中歩きの先生の「パパ」が褒めていたうどん屋さんがあったので、迷わず入ってみることにする。女性二人が切りまわしている店のようだ。

うどんは300円とすごく安い。弥次さんは野菜天ぷらうどん420円。喜多さんは300円のかけうどんに温泉卵70円をトッピング。

待つことしばし、ご覧のようにボリュームたっぷりのうどんが出てきた。メニューにやわらかめをご希望の方は注文時にどうぞ・・・と書いてあったので、気にはなっていたが、一本一本のうどんが太くコシがたっぷりの独特のうどんだ。味噌味も選べるようだが、このうどんを平らにすればやはりこれは「ほうとう」だ。


山梨の人にとっては、これこそが「うどん」なのであろう。おいしかったけど、西で育った弥次さんはやはり讃岐や大阪のうどんの方が口に合うようだ。

〈野菜てんぷらうどん〉
 東京や横浜ではなかなか見ることができなくなった、大きな鯉のぼりが、大きな家の庭先で泳いでいる。

後ろには変わった形の建物が見えるが、これは日本電気の工場らしい。

〈鯉のぼりとNECの工場〉

〈笹子川にかかる真木橋を渡る〉
 
〈車の少ない甲州街道と笹子川〉

〈笹子川を渡りしばらく線路に沿って歩く〉


〈山吹が満開〉

〈山吹の咲く甲州道中をゆく〉

〈第七甲州街道踏切を普通電車がゆく〉
甲州道中100km

 やっとと言うべきか、日本橋を出立してから100kmを歩いてきた。東海道や中山道に比べて、今一つメジャーでない街道に思えるせいか、続けて歩いていないせいで、平成21年2月に歩き始めてから2年以上が過ぎてしまった。

100kmといえば、東海道では箱根越えをしていたあたりだし、中山道では倉賀野宿あたりで、それぞれの旧道が面白く思えるようになってきたあたりだ。

〈100kmと100mのポスト〉

〈フクロウがかわいい〉

〈小林本陣跡〉
 
〈正面は峰の山 911.2m〉
 
〈中央本線を特急あずさがゆく〉
樋口さん

 中央本線を走り抜ける特急あずさの写真などを撮りながら歩いていると、前方に手押し車と犬を連れたおじさんがいた。

手押し車を見ると、『東日本大震災被災者支援』横浜〜長野(小谷村)300km平和行脚 『救援募金』と『平和の折りバラ』にご協力ください 横浜のむぎ と書かれた横断幕を付けている。

いかにも怪しそうではあるが、「こんにちわ」と声をかけて話をしてみると、名刺代わりにと渡されたのが、信濃毎日新聞の記事と歩いている趣旨だ。

単に楽しみで歩いている弥次喜道中とは、志が違うのであった。
記念撮影と激励をして別れた。

〈船石橋の手前で出会った樋口さん〉
 
〈甲州道中 初狩宿をゆく〉
 
 
白野宿へ

 国道20号線の右わきにいかにも旧道沿いにありそうな石碑があるが登っていゆくと中央本線にぶつかってしまいそうだ。

しかたなく国道沿いに歩いてゆくが、どうも道が違うみたいだ。先をゆく喜多さんを呼び止め、5〜600m戻ることにする。
 すると、原入口バス停から右に入る道があるではないか。さっさと歩いていたせいで見逃してしまっていた。どう見ても雰囲気の良いのはまっすぐ行く道だ。

この先で、中央本線の下をくぐり「白野宿」に入る。

〈白野宿への旧道〉
 
〈白野宿の雰囲気の良い旧道と火の見櫓〉

〈右は稲村神社〉

〈親鸞上人念仏塚〉
 
〈稲村神社のしだれ桜〉
稲村神社

 神社の境内にみごとなしだれ桜が見えてきた。こんなにきれいなのに誰も花見に来ていない。この神社は稲村神社といい、境内にはりっぱな道祖神があった。

子宝に恵まれない人たちがお参りに来ていたのだろう。

そもそも道祖神とは、村の守り神であり、子孫繁栄や旅の安全の神として信仰されてきた。古から生殖には豊穣と神秘を感じ、ほとんどの道祖神は、男女一対を象徴するものになっている。

道祖神は、関東地方のこのあたり甲州・相模・信州・上州などに多く見られる石の神様だが、西日本ではあまり見たことがない。

〈道祖神〉
笹一酒造

 笹子川にかかる笹子川橋を渡るとすぐに、笹一酒造が見えてくる。ついでなのでトイレ休憩して売店をのぞいてみる。

醸造元だけあっておいしそうな酒やワインがたくさんある。試飲して迷ったが、赤ワインとフェイジョアワインを買うことにする。


この笹一酒造には、世界一の大きさを誇る大太鼓が展示してある。口径4.8m、全長約5m、重さ2tだそうだ。大太鼓の隣には北斗の拳の彫像があるが、意味がよくわからない。

〈笹子川橋を渡ると笹一酒造が〉
 
〈世界一の大太鼓〉

〈笹子駅の笹子隧道記念碑 大きい〉

〈笹子駅で電車を待つ〉

〈笹子駅の線路は傾いている〉
 こうして、ひさしぶりの街道歩きは終了したが、今日は天気も良く、距離も無理がなく楽しく歩けた。

しかし、すっかり忘れていたが、花粉を一日中吸って歩いたのだろう。帰りの電車の中では鼻水が止まらない。目はかゆいし、くしゃみもとまらない。


帰ってから、鼻炎カプセルを飲むとすっかり頭がやられてしまって、月曜日は一日中ボーっとして過ごした。

これで甲州道中もやっと半分だ。次回は勝沼ぶどう郷だから、ぶどうの季節に歩くと良いのだろうが、秋まで待つわけにはいかない。その次は石和温泉に泊って甲府を目指すことにしたい。

〈お土産のワイン〉
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