岩高プレアンから岩国市民マンドリンクラブへそして35年のブランクを経てYPSOへ(2011.9)
 今から約40年前の紅顔の美少年?だったころ、岩国高校に入学したら『プレクトラムアンサンブル』に
迷わず入部しようと受験する前から決めていた。中学生のころからギターを弾き始め、我流で少しもうまく
ならなかったが、ギターを弾ける部活があれば是非入部してうまくなりたいと思っていたのだ。

坊主頭の一年生が『プレアン』に入部するため教室に行くと、なんと50人近くの入部希望者が来ていた。
しかもほとんどが女子生徒で、男はたったの5人。それでもくじけずに入部して念願の学校でギターを弾く
生活が始まった。赤城淳作曲の『若人』で始まり、『若人』で終わるプレアン生活だった。1年生でろくに
弾けていなかったのかもしれないが、鈴木静一の「細川ガラシャ」や「人魚」を定期演奏会で合奏し、
定期演奏会が終わった後の感激は一生忘れられないものとなった。

3年生のTさんという人が反省会で言った言葉がいまだに忘れられない。「定演は目的ではなく結果である・・・」 
あくまでプレアンという部活が大事であって、定演はその延長にあると言いたかったのだろう。その時は、
そんなものかと納得したが、最上級生になって指揮を任されるようになると、それは違うと思った。
『定演は目的であり結果である・・・』と訂正したい。

一年生の定演の後、三年生が卒業してチェロが足りないということになった。ギターの達人になろうと
入ったプレアンであるが、犠牲的精神を発揮してチェロにコンバート。二年生になると今度はコントラバスが
足りないという。またまた犠牲的精神を発揮してコントラバスにコンバート。おかげでヘ音の楽譜も読める
ようになったが、いまではまったく忘れている。挙句の果てに誰もやりたがらない指揮者を仰せつかったので、
高校でギターを弾いたのは半年間だけだ。

3年間の間にいろいろなことがあり、最後まで残った同級生は10数人だったと思う。最後の定演の前日、
練習を終えて真っ暗な中をプレアンの生みの親・育ての親の、熊谷先生のお墓に3年生のみんなで
お参りした。不安な気持ちを少しでも楽にしたかったのだと思う。

〈デザイン&コピーby Yajisan〉

〈京都サウンドプロデュースで作ってもらった〉
高校生活最後の定演は、

第一部     
G.Filippa 田舎の祭り/小林清一 鹿踊りの夜/
鈴木静一 細川ガラシャ

第二部     
来春卒業生による 日本のメロディー
荒城の月/叱られて/月の沙漠/童謡集より/浜辺の唄


第三部    
鈴木静一 組曲「山の印象」/
鈴木静一 大幻想曲「幻の国(邪馬台)」

〈今はプレーヤーがないので聴けない〉
 アンコールは「鈴懸の径」「若人」で締めくくり、勢いでレコードも作ったが、今の若い人からすれば、
レコードってなに?という感じだろう。ということで、部活に関しては満足な高校生活だった。そうして、
無事に大学生になり、今度はプレアンのOB主体の『岩国市民マンドリンクラブ』で引き続きギターを
弾くことにした。大学でも一度はマンドリンクラブに入部したが、一人暮らしのルーズさで続かなく
なっていた。1〜2年のころは学校にもろくに行かず、無頼な生活を送っていたせいだ。

春休みや夏休みに集中して練習し、演奏会に出演するスタイルがぼくにあっていたのかもしれない

〈京都公演 於:京都芸術会館 指揮者の真ん前でギターを弾いているのが僕だ〉以下写真は岩国マンドリンオーケストラHPより拝借

〈演奏会終了後記念撮影 本人は後列真ん中〉
 こうして改めてメンバーを見ると、すごい先輩ばかりだ。ぼくなどは一番下っ端だからちいさくなっていたが、前列の一番左はコンサートマスターの新井さん。この方は全国マンドリンソロコンクールで一位になった人だ。他にも2年後に一位になった田村さんや3位になった松重さんがいた。こんなMCは全国にもそうそうなかったのではないだろうか。

その右隣は指揮者の高島さん。高校時代からお宅にお邪魔していろいろ教えていただいた。本当にお世話になりました。その右は会長の三浦さん。いつもにこにこしていて仁徳者だ。

〈後列の真ん中が若き日の弥次さん〉
 セロ弾きの石川さんにも本当にお世話になった。現在は『岩国マンドリンオーケストラ』の会長をつとめておられる。CDを送っていただきありがとうございました。若き日の弥次さんをとり囲む美女軍団は、高校の1年後輩たちだ。みんなかわいかったね。でも今はぼくよりひとつ年下ということは、おのずとどうなっているか想像できるだろう。

ぼくが家でもいつもギターを弾いていたせいかどうなのか、娘は音大に進み息子は大学の吹奏楽部でパーカッションとベースを担当した。音楽って本当にいいもんですね・・・と水野晴夫さんのまねをしたくなる。

〈定演後の打ち上げで石川さんと後輩たちに囲まれて〉

 大学4年間の間に岩国での定演と、東京神田日仏会館でのコムラードマンドリンアンサンブル第3回定演への応援出演、京都公演、広島公演などこなした後、就職してからは余裕がなく、その後はずっとマンドリン合奏とは無縁の生活になっていた。そして平成23年。こども2人も無事大学を卒業し、住宅ローンも完済。肩の荷が下りたところで、「そうだ、またマンドリン合奏ができないものだろうか」という欲求がふつふつと湧いてきた。

ということで、地元横浜のマンドリンオーケストラに入団させてもらい、来年6月に『みなとみらい小ホール』での定演に参加させてもらうことにしたのだ。

〈生意気にくわえタバコだ〉
横浜プレクトラムソサエティーオーケストラ(YPSO)に参加

 HPで「横浜 マンドリン」と入力して検索すると、いくつかのマンドリンアンサンブルのHPが見つかった。
その中で「横浜プレクトラムソサエティーオーケストラ」に心惹かれるものがあったので、さっそく連絡
してみた。代表で指揮者のTさんと電話で話をすると、大いに歓迎していただいた。是非このオーケストラで
演奏してみたいと思った。何日かしてギタートップのHさんという女性から楽譜と丁寧な案内が送られてきた。

■コンラート・ヴェルキ    ロマン的協奏曲
■芥川也寸志          トリプティーク 弦楽のための三楽章
■ドメニコ・チマローザ    アルテミシア序曲
■鈴木静一            朱雀門


どの曲も簡単ではない。久しぶりの合奏譜面に武者震いがおきる。しかもびっくりしたことに「岩国高校
プレクトラムアンサンブル」の18歳も先輩がこのオーケストラにいらっしゃったのだ。世の中広いようで
やはり広いのだけど、こういうこともある。
しかもその方が作られたHPを見て入団したわけだから不思議な
縁を感じる。
というわけで、平成24年6月2日、「横浜みなとみらい小ホール」14:00からの定期演奏会に
参加することになったので是非聴きに来てください。「みなとみらい小ホール」は弦楽の演奏には最高の
演奏会場らしいですよ。


〈後記 2018.7/21追記〉
 無事に35年ぶりのコンサートで楽器を弾いて味をしめた弥次さんは、YPのコンサートのほかにも、その後
2013年2月24日(日)にはサントリーホールでの「鈴木静一メモリアルコンサート」に、2014年5月11日(日)
には東京オペラシティーでの「第2回鈴木静一展」、2016年5月15日には「第3回鈴木静一展」、2018年5月20日
には「第4回鈴木静一展」に参加して、マンドリン合奏を楽しんでいます。
また2017年7月には、コムラード
マンドリンアンサンブルに参加させていただき、8楽章50分の大曲 交響的大幻想曲「シルクロード」を演奏
することもできました。2018年7月29日にも、浅草公会堂でのコムラードの第46回定演に参加させてもらいます。

〈第13回定期演奏会〉
   
  学生時代に活動されていて、その後楽器をしまいっぱなしという方は、私のように思い切って再開してみませんか?
   
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