〈9日目〉 平成19年 2月24日 土曜日 小雨のち曇り 三島宿〜沼津宿
【第11次 三島宿 源頼朝が源氏再興祈願をした三島大社 伊豆の国一ノ宮】

〈三島・朝露 江戸より11番目の宿〉
 
三島大社

 喜多さんが沼津の千本松原は一緒に歩きたいというので、三島〜沼津間は後回しにして先に原〜富士川までを歩いていたから、また順番がくるってしまった。

今日は平塚の家に車を置かせてもらい、喜多さんと二人で平塚駅から三島に向かう。天気は晴れの予報だったのに、三島についたら小雨が降っていた。駅前のコンビニで傘を買い、ついでに道中のおやつも買って三島大社を目指す。

〈三島大社の鳥居は今も変わらない〉
 
 楽寿園の前を通りすぎ、白滝公園の脇でこどもの声に呼び止められた。

「三島のお水をどうぞ」さすがに富士山の伏流水の三島市。旅人が気楽に水を飲めるよう、水飲み場にはテープの案内が流れている。

〈伊豆の国一ノ宮〉
頼朝の源氏再興祈願

 箱根越をするということは、江戸時代の旅人にとってはかなり大変なことだったのだろう。何事もなく三島宿についた旅人は「山祝い」をしたという。従者には祝儀を出し、宿では多少の散財をして無事を祝ったそうだ。

三島大社は伊豆の国の一宮。三島は伊豆の国の国府があったところで、三島大社の門前町として賑わっていた。源頼朝が源氏の再興を祈願したことでも知られる。治承4年
(1180)、頼朝は源氏再興を祈願して100日もの間、毎晩流されていた蛭ヶ小島(ひるがこじま)から三島に日参をしたと言われている。

〈喜多さんになりきってみた〉
名物福太郎餅

 『むかしむかしからお田打ちと呼ばれる御祭りが三嶋大社にあるそうな。黒いお面をつけた福太郎が福の種をまくそうな。それまけ、やれまけ、たんとまけ。福太郎がお祝いのお餅になったそうな。「福太郎」は生命力を宿すという餅と、邪を払うというヨモギをつきこんだ、百薬・百味の食べて福を呼ぶ、健康を作り出すヨモギ餅です。あんは烏帽子の形、甘さを控えた上品な味に仕上げています。


と、しおりには書いてある。ヨモギの香りがするおいしい餅である。我が家では息子が大好物で赤福よりおいしいと言っていた。

〈三島大社の縁起餅 福太郎〉
 三島大社に参拝した弥次喜多道中は、西へ向けて歩き始める。この頃は、まだ旧道歩きをしていることを知られるのは照れ臭く、地元の人に正しい旧東海道を聞くこともはばかられた。

HPをつくるつもりもなかったから、写真も少ないし、肝心の東海道の写真がほとんどない。HPを作り始めてからは、意識して歩く目線の写真を撮るように心がけるようになった。

〈三島大社の境内では名物福太郎餅が売られている〉
義経と頼朝の対面石

 しばらく進むと立派な一里塚が両面にあり、その先に長沢八幡宮がある。この八幡宮の境内には、頼朝が挙兵したときに、奥州からかけつけた義経と対面したと言われる「対面石」がある。

このような伝説は本当のこともあり、あとでこじつけたことも多いが、とりあえず弥次喜多夫婦も、この「対面石」に座って頼朝と義経の気持ちになってみた。

〈義経はこの石に座って兄頼朝に対面したという〉
  兄の挙兵を聞いた義経は、いてもたってもいられなかったであろう。幼名を牛若丸といい、鞍馬の寺で
育てられた義経は、やがて自分の生い立ちを聞かされ、奥州に逃れ藤原秀衡の庇護を受ける。この対面
石での出会い以後、一の谷・屋島・壇ノ浦と平家を滅ぼす最大の功労者となった。しかし、兄の許可なく
官位を受けたことなどで頼朝に疎んじられ、ついには奥州で攻められ自刃した。あわれ、九郎義経。
ちょっとやりすぎたか。
   
乗運寺 若山牧水の墓がある

このあとは沼津港まで歩いて、うまい寿司でも食べて帰ろうと思ったが、いつまでたっても沼津港にたどり着かない。あきらめて途中で右に折れ千本松原を目指す。若山牧水記念館を通りぬけて松林を越えたところで、きれいに手入れされた寺を見つけたので入ってみた。乗運寺といって若山牧水の墓がある。千本松原は、この寺の住職が武田と今川の戦いで、武田方により切り倒された松を植えなおしたことで、今の千本松原があるということらしい。

この日は約2万歩で終了。この乗運寺の前にバス停があったので、バスを待って沼津駅まで帰ることにする。沼津駅ではちょうど御殿場線の電車が入線していたので、乗ったことのない御殿場線で帰ることにした。

〈若山牧水の墓〉
   
反省

 御殿場線は、現在の東海道線が開通する前の旧東海道線だ。三島〜熱海間の丹那トンネルを通らずに箱根の
北側を通ることになる。熱海経由の東海道線に比べるとずいぶん時間がかかる。御殿場、足柄、山北、曽我と
1時間近くかかって国府津駅に着いた。2月の梅の時期だったので、曽我では車窓からたくさんの梅林に咲き乱れ
る梅の花が見える。国府津で東海道線に乗り換えて平塚に戻り、車で横浜の我が家へ。このころまではまだ地元
感覚で、早朝に出かけてなにがなんでも目指す宿まで歩こうという強い意志はなかった。疲れたら適当に切り上げ
て帰ろうと思っていたから、この日は東海道を歩いた距離は6km足らずだ。実際は東海道以外をずいぶん歩いて
いるのだが、今後は時間がもったいないので、あまり寄り道をせずちゃんと旧東海道を歩こうと思う。
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