〈7日目〉 平成19年 1月27日 土曜日 晴れ 二宮〜小田原〜箱根湯本
【大磯宿 二宮続き】

〈二宮駅前 ガラスのうさぎ像〉
 
 前回簡単に挫折した二宮駅まで電車で行き、10時45分に歩き始める。駅前に「ガラスのうさぎ」の像がある。ガラスのうさぎの像を抱いた少女の像だ。空襲で家族を失った少女の話らしいがまだ読んだことがない。

駅前を右に折れて、国道一号線を西に歩き始める。国府津の駅まではなんということもない国道沿いの道だと思っていたが、平成23年1月2日、箱根駅伝の応援で国府津まで来たついでに二宮駅まで歩いたら、ちゃんと旧道が残っていた。この頃は知らずに歩いていたのかと思うと悔しい。


〈前回撮り逃した力強いメッセ−ジ〉
 
 途中、二階の窓に「つぶれてたまるか!!」と強い意思表示をしている店があった。4年前に歩いた時には、
人がいて照れ臭かったので写真に撮らなかったが、今回歩いた時にもあった。ちゃんとつぶれずに営業されて
いるようでよかった。この頃はまだHPに記録を残そうとは思っていなかったので、撮り逃したショットが多い。
   
4年ぶりに正しい旧道を歩く

 4年前にこの道を歩いた時には、まだ旧街道の匂いがわかっていなかったのだと思う。いまこうして見れば、国道からそれる道の曲がり具合は旧道そのものだ。分岐点に「旧東海道の名残り」という標識も建っている。江戸時代の道は、地形をなるべく生かして作ってあるから、現代の道のようにまっすぐな道はほとんどない。

車社会になってから作られた国道は、効率と安全性を求めてなるべくカーブが少なく作られたから、必然的に曲がりくねった旧道は、まっすぐな国道の左右に残されたのだ。ただ、このような道が昭和になって作られた生活道路だったりするから始末が悪い。

〈左は国道1号線 右が旧東海道〉
 平成22年12月、街道歩きのためにドコモのギャラクシーTABを買った。FOMAの電波が受信できるところなら、グーグルの地図が見られるし、ナビ機能も付いている。今回が購入後初めての街道歩きになるので試してみたが、これは助かる。上空からの目線で道筋が一目瞭然で見えるから、正しい旧道を見逃さなくて済むようになった。弥次喜多夫婦のように、旧街道を歩きたい人ばかりではないから、旧道に必ず表示があるわけではないし、この旧道のように国道からそれていくと、今まではどこで合流できるのか不安で仕方がなかった。東海道も中山道もすでに踏破したが、見逃して新しい道を歩いてしまったところも多いのだろう。
〈右は国道1号線 左が旧東海道〉
東海道一里塚の碑

 二宮と国府津の間で一里塚の碑を発見して感激した。『ここ二宮の一里塚は、江戸日本橋から18番目の一里塚で、大磯宿と小田原宿の中間に位置しています。塚は街道を挟んで両側に築かれ、北側の塚は高さ一丈二尺(約3.6m)、上には欅が植えられ、南側の塚は高さ一丈(約3.3m)、上には榎が植えられていました。周辺には旅人目当ての茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ばれて、大変賑わっていました。』
平成17年12月 二宮町教育委員会
4年前にはこのような史跡も気付かずに通り過ぎていたと思うと、やはりこれは見る目を持っていなかったということだ。現在でも、興味がない物や事柄に対しては、同じ様に目の前にあっても見えていないのだろう。

〈史跡東海道一里塚の跡碑〉
松屋本陣の跡

 江戸幕府の交通政策によって東海道が整備されたことや、参勤交代制などにより、江戸〜上方間を往来する人々は増え、旅人の宿泊所、休憩所も街道の随所に設けられました。このあたりは大磯宿と小田原宿の中間に位置し、大磯宿〜小田原宿の距離が16kmと長いうえ、押切坂、酒匂川を手前に控えていることから、間の宿(あいのしゅく)として休憩所が設けられ、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ばれて、大変賑わっていました。その中心的存在となっていたのが、「松本本陣」であり、参勤交代の諸大名・宮家・幕府役人など特権階級の人たちの休憩所に指定されていました。「松屋」であった和田家には、本陣を利用した人々の記録である「御休帳」が残されていて、二宮町指定重要文化財になっています。
平成17年12月 二宮町教育委員会

〈松屋本陣の跡〉
【第9次 小田原宿 天下の嶮箱根を前に本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒を数え大変な賑わいだった】

〈小田原・酒匂川 江戸より9番目の宿〉
酒匂川を渡る

 そうこうするうちに酒匂川が見えてきた。正面には箱根の山々が連なり、特におわんを二つ並べてふせたようなふたご山がよく見える。今は立派な橋あるが、広重の絵のように江戸時代は人足による渡しだったのだろう。あとで歩きなおしたとき、冬だけは橋がかかっていたという説明板もあった。酒匂川を渡ると、小田原らしい城下町の雰囲気が漂ってくる。この辺りには新田義貞公の首塚とか、本陣跡、見附跡など見どころがたくさんあるのだが、まだあまり良い地図がなく、なんとなくそれらしい道を箱根湯本方面に向かって歩いてしまったため、見逃しているところが多い。この道はもう一度ちゃんと歩いてみようと思う。

〈酒匂川の向こうに箱根の二子山が見える〉
 小田原宿は江戸から二十里二十丁で、日本橋を出立した旅人の多くが2泊目の宿として利用したという。
このあと「天下の嶮」とうたわれた箱根の山を越さなければならないため、どうしてもこの小田原宿に泊まら
ざるを得なかったのだ。そのため本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠も95軒を数え大変な賑わいであったという。
(山と渓谷社 東海道を歩く)

〈小田原 F・ベアト幕末日本写真集より〉
ういろう

 しばらく歩くとお城のような建物が見えてきた。江戸時代から旅人の常備薬として有名な「ういろう」を売っている「ういろう」というお店だ。中に入ってみると右半分が和菓子を売っていてお茶も飲めるようだ。左半分は薬屋さんになっていた。この「ういろう」は創業六百年というとんでもない老舗で、もともとは「外郎」という家伝の丸薬を作る明からの帰化人であったという。

この店ゆかりの歌舞伎の「外郎売り」という口上が有名らしいが、残念ながら見たことがない。少し疲れていたので日本茶と和菓子で一服ということも考えたが休まずに続きを急ぐことにする。この辺りは車で何十回も通っているが歩くのはもちろん初めてだ。かまぼこや干物を売る店が多い。

〈創業600年 ういろう〉
 いつも車で通りすぎるだけだが、今日は鈴廣の「かまぼこ博物館」に寄ってみることにする。かまぼこの歴史や製造方法などが展示され、ガラスの向こうでは実際に職人さんがかまぼこを作っている。この辺りも地図がないため適当に国道を歩いてしまった。旧東海道は小田急の右側の道に入らなければならなかったのだが、ずっと国道一号線を歩き。そのうち箱根地ビールの看板が見えたので店に入って地ビールをいただく。

このあと本格的に街道歩きをするようになってからは、歩く途中でビールを飲むなどという不謹慎な真似はしなくなった。このころまではいかに物見遊山モードだったかがわかる。

〈万町 あちこちにこのような石標が〉

〈旧道沿いの民家〉

〈板橋地蔵の大きな大黒様〉
 4時ころ箱根湯本の駅に到着したが、せっかくの温泉地なので「かっぱ天国」という露天風呂に入ってみた。車ではできない旅を味わって、本日は小田原名物のお土産「あげかま」を買って帰る。魚のすり身を油で揚げたものは、田舎の岩国あたりでは単純に「てんぷら」と言っている。

本日の出費、交通費2,730円、お茶150円、のど飴200円、ちゃんぽん880円、地ビール630円、かっぱ天国750円、お土産1,050円、合計6,380円。結構かかるようになったが、余計な出費が多いのがわかる。

〈露天風呂 かっぱ天国〉
 
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