〈4日目〉 平成19年(2007)1月3日 水曜日 曇り 戸塚宿〜藤沢宿
【第5次 戸塚宿 大山や鎌倉への参詣客でもにぎわっていた】 
   

〈戸塚・元町別道 江戸より5番目の宿〉
   
戸塚宿へ

 年が明けて、3日にまた喜多さんと一緒に続きを歩くことにした。上大岡に車を置いてバスで東戸塚に向かう。駅の案内地図でこの前歩き終えた道を確認し、環状2号線から戸塚宿に向けて旧道を探しながら歩き始めた。

このあたりは国道からはずれ、いかにも昔はこのような道であったろうと思わせる、狭くて曲がりくねった道を探しながら歩くことになる。途中で環二を歩道橋で渡り、住宅地の細い道を下っていき、川に沿って歩くとやがて国道1号線に突き当たる。

〈現在の吉田橋〉
   

〈6年前にはなかった旧東海道の案内が〉

〈赤間橋〉
   

〈いま歩いているのは戸塚区の東より〉

〈旧東海道 秋葉大橋下〉
   
※この時はあまりにも撮った写真が少なかったので、H25年7月23日に歩きなおした写真を追加で載せることにする。

このころ
(平成19年)は街道歩きに関してまったくの素人だったため、見どころも何もさっぱりわかっていなかった。旧道に対するこだわりもなかったため、つまらない国道を歩いてしまっている。

あれから6年たって、多少ツボがわかってきた目で再び歩きなおしてみると、改めて結構歴史を感じさせる建物や史跡が残っていることに感心する。

〈こんな蔵も残っている〉
   
旧東海道は箱根駅伝の道

 国道1号線を藤沢に向けて歩く途中、ポーラ化粧品の工場あたりで、ちょうど箱根駅伝の復路を走る選手に出会った。軽く応援しながら左の旧道に入る。

戸塚のこの橋は、広重が描いた橋らしい。「吉田大橋」といい、橋の欄干にこの広重の絵がある。

〈このモチノキから左の旧道に入る〉
   
   
大塔ノ宮護良親王首洗井戸

 このモチの木の古木をすぎたところから左の道に入ると、その先に大塔ノ宮護良
(もりなが)親王の首洗い井戸がある。ちょうど今、吉川英治の『私本太平記」を読んでいるところだから、足利尊氏や新田義貞、楠木正成などがマイブームだ。まして、弥次さんの祖先とされている人もこの太平記には登場する。

後醍醐天皇の第三皇子大塔ノ宮護良親王は、足利尊氏に対抗し尊氏を排除しようとする。しかし、尊氏の弟直義
(ただよし)は、大塔ノ宮を鎌倉に幽閉し淵辺伊賀守義博に命じて殺してしまう。

〈史跡への小道碑から左の住宅街へ入る〉
   
 鎌倉には、護良親王が幽閉されていたという土牢が残されていて、むかし見学に行ったことがある。しかし、吉川英治によると『土牢説は間違いで、塗牢すなわち「塗り籠め」壁ばかりな部屋ということの訛伝であろうか・・・』と書いている。どちらが正しいかは歴史のかなたであるが、現代人は劇的な史跡のほうがありがたがる習性がある。

大塔ノ宮の首を切り落とした淵辺は、その首をもてあまし、かたわらの藪だたみ目がけて宮のお首を抛り捨ていずこともなく晦まし去ってしまった・・・と、私本太平記には綴られている。

〈護良親王首洗井戸碑〉
   

〈これが首洗井戸だというが・・・〉

〈史跡への小道の裏面も注目〉
   
 
   

〈鎌倉宮に残る護良親王が閉じ込められていたという土牢〉
   
   
 
   

〈旧東海道沿いにレンガ造りの立派な建物が〉

〈こちらも立派な建物〉
   

〈6年前にはなかった案内標識〉

〈これだったらちゃんと旧道をたどっていける〉
   

〈ファミレス前の江戸方見附碑跡〉
   

〈広重が描いた吉田橋を渡る〉
   

〈吉田橋に描かれた広重の戸塚宿〉

〈江戸時代はこのような風景〉
   

〈東海道の一風景 横浜−藤沢間 F・ベアト幕末日本写真集より〉
   
戸塚宿深澤本陣跡

 吉田大橋を過ぎ、戸塚駅を過ぎた先に澤辺本陣跡の標柱があった。先ほどの軽部本陣跡と違ってこの澤辺本陣跡などは、こんなところに本陣があったのだろうかというほど、普通の民家になってしまっている。明治天皇行在所の碑もあるから、かつては明治天皇が泊まられたところなのだろう。

百年を変わらずに維持していけるということはすごいことなのだ。

〈戸塚宿澤邉本陣跡〉
   
 戸塚の地名となったと言われる「冨塚八幡宮」を過ぎ、ひたすら国道1号線を歩く。途中、道の左に
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の「お軽勘平道行の碑」がある。「道行」とは歌舞伎や浄瑠璃で相愛の
男女が連れ立って道中する場面を言うそうだ。相愛でなければ単なる道中ということか。

その先のつまらない国道沿いを歩いていくと、やがて渋滞で有名な原宿交差点に出る。この辺りは
国道1号線を歩くしかないので車が多く疲れる。諏訪神社を過ぎて左に折れ坂を下るとその先に
「遊行寺」が見えてくる。本日は遊行寺にておしまい。 
   
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