〈二十四日目〉 平成19年11月25日 日曜日 晴れ 四日市宿〜石薬師宿〜庄野宿〜亀山宿
【四日市続き】
 昨日は、母親と姉夫婦と弟とその息子6人で、四日市のビジネスホテルに泊まった。
朝、雄琴の旅館を出発して、長浜や彦根城、関が原古戦場跡などを見て、みんなで弥次さんの東海道歩きに
付き合って四日市までやってきたのだった。

みんな暇なのか、付き合いがいいのか・・・でもゆうべは、82歳の母親も一緒に居酒屋に行って楽しく過ごした。
家族の仲が良いのはいいことだ。
 朝、みんなでホテルの朝食を食べて、車で山口県に帰る家族と別れて、おとといの続きを歩き始める。

せっかくだから、亀山、関を通って鈴鹿から帰ることをすすめる。
弥次さんがこれから歩く道だ。

東海道は、長い歴史の中で忘れ去られた道もあるし、この四日市のようにアーケードの商店街になっている道もある。

形を変えずに存続するということは、難しいことなのだ。

〈このアーケード街が旧東海道〉
丹羽文雄生誕地

 しばらく歩くと、左手に「丹羽文雄生誕地」という石碑があった。

丹羽文雄さんの小説はほとんど読んだことがなく、今すぐには代表作も思い浮かばない。
教養のなさが露呈してしまった。

後日、調べると「親鸞」や「蓮如」が代表作で、崇顕寺の住職をしながら作家活動をされていたのだそうだ。
昭和52年には、文化勲章を受章されている。

〈丹羽文雄生誕地の石碑〉
日永の追分

 日永一里塚跡を過ぎ、国道に合流した先に、人だかりがしているところがあったので、早速のぞいてみる。

ここは、左に行くと伊勢神宮への道となる「日永追分」であった。
東海道は右へ行くことになる。

膝栗毛の弥次喜多道中はこの日永の追分から伊勢に向かったが、平成の弥次さんは東海道を西に向かう。

〈日永追分 左伊勢神宮道)
 人だかりは何かと思って、水をポリタンクに汲んでいた同年代の女性に聞いてみると、この追分の水はうまいのだそうだ。

弥次さんもペットボトルに詰めようかと思ったが、妙齢のご婦人が何人もで占領していたのであきらめた。

〈地元の女性が水を汲んでいた〉
内部川を渡る

 その先の内部川の内部橋を渡ったところで、地元のおじさんに声をかけられた。
「東海道を歩いているの?」
「はいそうです。」
「この道は東海道じゃないよ。東海道はあっちの道だよ。俺も京都から桑名まで歩いたけど、どこから歩いてるの?」
「日本橋から今日で24日目です。」
「へー、すごいね・・・・・。がんばってください。」
「ありがとうございます。」

という会話をして、教えてもらったとおり国道1号線の左の旧道に入る。

〈内部川〉
うつべ町かど博物館

 右手に「うつべ 町かど博物館」という看板が見えた。
ちょうどトイレにも行きたいし寄ってみようかなとのぞいてみたら、まったく普通の民家だ。

たぶん地元の郷土史家が自宅を解放して、街道歩きの人に内部の歴史をレクチャーしているのだろうと思う。

ご主人らしい人も見えたので、お邪魔しようかなと思ったが、今日は関宿までたどり着く予定だ。ゆっくり地元の歴史を聞いている時間がない。

後ろ髪を引かれる思いで、立ち寄りをあきらめた。

〈私設 町かど博物館〉
杖衝坂

 家の前で畑仕事をしていたおばさんに「旧道はこちらでいいですか」と聞くと、「そうですよ」とやさしく答えてくれ、「どうぞごゆっくり、気をつけて」と親切な言葉をかけてもらった。

弥次さんはシャイな性格なので、歩いていて自分から地元の人とコミュニケーションをとる機会が少ない。

でも、いろいろなところで歩いている弥次さんに「おはようございます」とか「こんにちわ」とか挨拶してくれる人がいる。
ほとんどがおばさんであるが、おかげで気分よく歩ける。 

〈杖衝坂〉
またもやタケルノミコト

 この先には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が伊吹山の戦いで深手を負い、剣を杖にして上ったという「杖衝(つえつき)坂」がある。

しかし、東海道を歩くと、日本武尊はあちこちによく出てくるね。
しかも、焼き討ちに遭ったり、怪我をしたりろくなことがない。

由比では焼き討ちに遭い馬の鞍が焼け、草薙では草原で火をかけられかろうじて剣で火を薙ぎ払って助かり、ここ四日市では怪我をしてこの坂を剣を杖にして上がったという。

この「史跡 杖衝坂」の標柱が建てられたのは、昭和のはじめであるらしい。

〈杖衝坂の碑〉
 柱の裏側にこの坂の由来が刻まれている。

この坂は、日本武尊が東征の帰路、疲れ果てられた身でこの地をお通りになり、
「吾が足三重勾りなしていたく疲れたり」と仰せられたので、この土地を「三重」と言い、
またお疲れのあまり腰の剣を杖についてこの坂を登られたので「杖つき坂」と言える。
このことは古事記に載せられている。


三重県の由来はこうであったか。勉強になるね。
古事記もまたじっくり読んでみたい。

坂の上にある「血塚社」は、坂を上りきった日本武尊が血止めをしたところだという。
日本武尊は、このあと石薬師宿の白鳥湖のほとりで息絶え、白鳥となって飛び立ったという。
芭蕉句碑

 芭蕉は「笈の小文」の中で、貞亭4年(1687年)「美濃より十里の川舟に乗りて・・・日永の里に馬かりて杖つき坂を登るほどに荷鞍打かへりて馬上り落ちぬ」

徒歩(かち)ならば杖つき坂を落馬かな

と、詠んでいる。

歩いていたら、落馬しなくてすんだものを、なまじ馬に乗ったものだから、この杖つき坂で落馬してしまった。
という歌で、季語の入っていない句ということでも有名であるそうだ。

〈芭蕉の句碑 本当にどこにでもある感じ〉
【第44次 石薬師宿 もともとは四日市と亀山の間が長すぎるので設けられた宿】

〈石薬師・石薬師寺 江戸より44番目の宿〉
佐々木信綱

 石薬師宿に入った。

石薬師という地名は、東海道歩きを始めるまで知らなかったが、「石薬師」という古刹が昔から有名らしい。

小澤本陣跡のそばに「佐々木信綱生家」があった。

〈石薬師宿の道〉
「夏は来ぬ」の作詞者

 佐々木信綱は国文学を学んだ者なら知らない人はいない。

また歌人としても高名で、一度は聞いたことのある歌をたくさん詠んでいる。

中でも有名なのが唱歌「夏は来ぬ」ではないだろうか。

〈石薬師宿碑〉

〈小澤本陣〉                                           〈佐々木信綱記念館〉              〈信綱の産湯の井戸〉

                        〈信綱生家〉                     〈石薬師の街道〉                   〈石薬師道標〉
♪うのはなのにおうかきねに ほととぎす早もきなきて 
 しのび音もらす 夏はきぬ


「夏は来ぬ」は明治29年(1896)5月、信綱25歳のとき新編教育唱歌集に発表した歌だ。

街道沿いには、信綱の歌が36首「信綱かるた道」として、民家の軒先に展示してある。
中でも有名なのは、

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

ではないだろうか。
中学だか高校だかの教科書に出ていたのをよく覚えている。
奈良の薬師寺の風景が目に浮かぶようだ。

障子からのぞいて見ればちらちらと雪の降る日に鶯がなく
これは、信綱が5歳のときの作だそうだ。

まあ、センダンは双葉よりかんばし・・・というけれど、記念館で見た父親に鍛えられた信綱の筆は
尋常な子どもではなかったことを物語っている。
【第45次 庄野宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠15軒という小さな宿だった】

〈庄野・白雨 江戸より45番目の宿〉
 庄野宿に入った。

薬師寺宿といい、庄野宿といい広重の絵に現在の風景を対比させるのは難しいが、
このあたりは自然がたくさん残っているので歩いていても気持ちが良い。

〈庄野宿道標〉

〈庄野宿の風景〉
庄野宿資料館

 庄野宿資料館に入ってみる。
展示内容は、どこの資料館もそう変わっているものではない。
ボランティアらしいおばさんが案内してくれた。

この庄野宿は戸数211軒、人口855人で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒という小さな村であった。

ひととおり見学させてもらって、また街道に復帰する。
国道1号線からは少し外れた道が残っているので、いい雰囲気で歩くことができる。
  
〈庄野資料館〉
女人堤防塚

 鈴鹿川に沿って旧道はあるが、左手に「女人堤防塚」という碑があった。

鈴鹿川と安楽川が合流するこの地域は、長い間水害に苦しめられてきた。
文政12年(1829)、氾濫を防ぐために、村人たちが堤防の修理を願い出たが、下流の神戸領主が堤防の建設許可を与えず、菊女をはじめ地元の女性たちが打ち首覚悟で、人目を忍び深夜に6年がかりで堤防の修理を完成させたと言う。

女たちが刑を受けようとするそのときに、家老が自分の命を張って助命したため、女たちは刑を免れたと言う。

この、女人堤防塚で座って一休みしていたときに、ヒナにはまれな美少女が自転車に乗って通り過ぎていった。

・・・・・しばし、瞑目ののち、また次の宿をめざして歩き始めた。

〈鈴鹿川〉
【第46次 亀山宿 亀山城よりもシャープ亀山工場とカメヤマローソクで有名】
和田一里塚

 このあたりの電車のおおらかさは、東京近辺では考えられない。
井田川駅などは、ホームさえない。改札もない。

電車が駅に着くたびに、車掌さんがおりて改札らしき場所で、キップを受け取っている。
なんとものどかでうらやましい。

その先に、和田一里塚があった。
これは復元されたものらしく、ちゃんと盛り上がっている。

〈和田一里塚〉
  
〈亀山ローソク前〉                   〈亀山ローソク工場〉                                 
 今日は次の関宿まで歩くつもりで、四日市宿を出発したが、もう時間が4時近くになっている。
仏壇で手を合わせるたびにお世話になっている「亀山ローソク」の工場前を通り過ぎ、江戸口門を右折したところで
今日はこの亀山宿までにすることにして、名古屋に向かうことにした。

名古屋から新幹線のぞみの指定席をとっていたから良かったが、3連休のためか、駅に人があふれている。
指定席の車両まで席がなく立っている人が押し寄せて、車掌さんにデッキに出るように注意されていたが、
デッキも人があふれているので仕方がない。

新幹線で横に人が立っていると気になって仕方がないが、自分の席ではなかったのでビールを飲みながらくつろいで帰る。

今回のお土産は、四日市で買った「なが餅」だ。留守番の喜多さんにも息子にもうまいと好評だった。

あと2回の道中で、終点の京都・三条大橋に到着の予定。
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