〈二十一日目〉 平成19年 9月29日 土曜日 雨 岡崎宿〜池鯉鮒宿〜鳴海宿〜宮宿
【岡崎宿続き】

〈岡崎・矢矧之橋 江戸より38番目の宿〉
八丁味噌

 約一ヶ月ぶりに岡崎宿に戻ってきた。

前回、是非見学したいと思っていた八丁味噌の工場に向かう。

八丁味噌という言葉はよく聞くが、どうして八丁味噌なのか。
この疑問は工場を見学させていただいて氷解した。

〈現在の矢作橋 新しい橋ができるみたい〉

この辺りの村は岡崎城から八丁(約九百メートル)西にあったのでこの村で作る味噌が八丁味噌と呼ばれたそうだ。

八丁味噌というブランドは、この八帖町という地名の味噌工場で作られた味噌だけが許されるものだったのだ。


〈八丁味噌のカクキュー〉
角久

早速、カクキューという由緒ありそうな味噌の工場に見学の予約をお願いする。

30分ほど待ったので団体と一緒に案内されるのかと思ったら、二人だけのために案内してくれるらしい。

待っている間に、味噌煮込みうどん、味噌ラーメン、モツ味噌煮込みなどを買って宅急便で横浜の自宅に送ったのだが、案内してくれたのはそのときにレジにいた女性だった。


〈職人技の石積み〉

八丁味噌に関する知識はゼロに等しかったが、いろいろ教えてもらい大変勉強になった。

何百年も続いている製法が今も守られている。
蒸した大豆を味噌玉にしそれを豆麹にし、水と食塩で仕込み、一切の添加物なし。
大きな樽にいれ、石で重石をして二〜三年寝かせる。
その間温度調節は一切なしで自然に任せる。
重石の石は、丸い自然石をピラミッドのように積み重ねる。
このバランスが職人芸で、ちゃんと積めるようになるには、何年もかかるといっていた。

積まれた石は、今までの地震で崩れ落ちたことは一度もないそうだ。


〈何も足さない、何も引かない〉

外は無情にも雨が降り続けている。カクキューを出た弥次喜多道中は、また西へと向かう。

この辺りは街並みもきれいに整備され立派な家が多い。八帖町のすぐ西を矢作川が流れている。この矢作川にかかる矢作橋は東海道で一番長い木橋であったという。

広重も「岡崎・矢矧之橋」として東海道五十三次の題材に選んでいる。
現代の矢作橋は、何の変哲もないただの橋だった。
どうも今の橋の隣に新しい橋を架ける工事をしているらしい。
途中まで造られた橋脚が半端な姿を見せていた。


〈粋な黒塀が美しい〉

矢作橋を渡り終えたところに、後に豊臣秀吉となる日吉丸と蜂須賀小六が運命の出会いをしたという故事から、槍の武者と子どもをかたどった「出会いの像」があったはずだが、残念なことに見逃してしまった。

日吉丸と蜂須賀小六の伝説

尾張の百姓出身の日吉丸は、一説には針の行商をして生計を立てていたが、ある夜この矢作橋で菰をかぶって寝ていたところに、尾張・美濃の国境に勢力を張っていた蜂須賀小六の一団が通った。
このときに小六が「小僧、邪魔だ」と槍でつついたのが縁で、日吉丸は蜂須賀小六の家来となった。
後に信長の家来となった日吉丸改め木下藤吉郎が、美濃攻めに際して、地理に詳しい小六に助力を要請したことが、以後の豊臣秀吉としての天下人まで上り詰める契機となり、また蜂須賀家が阿波を治める大名となったことにつながったという話だ。

しかし、戦国時代にはこの橋はまだ架かっていなかったとも言う。
まあ、伝説とはそのようなものだ。


〈蜂須賀小六と日吉丸の出会い〉
浄瑠璃姫伝説

この先の右手には、源義経を慕って身投げしたという浄瑠璃姫の伝説が残る誓願寺がある。

東海道を歩き始めたころには基本的にすべての寺や神社に寄っていたが、このごろでは時間が惜しくて、よほど有名か雰囲気のよさそうなところしか立ち寄っていない。
だから、この誓願寺もただ通り過ぎただけで境内に入ってはみなかったが、道路に面して十王堂があったので、覗いてみると内壁に地獄の様子が描かれていた。


十王の中心に祭られているのが浄瑠璃姫だろうか。


〈十王堂の閻魔様〉

しばらくは単調な道が続く。

宇頭駅を過ぎたあたりから松並木が始まるが、雨脚も強くなってきたので、休憩と昼食を兼ねて目に付いたラーメン屋さんに入ることにした。

チェーン店風の大きなラーメン屋さんだったが、予想外においしかったので少し得した気分でまた雨の中を歩き始める。

この先に熊野神社があるが、この辺り一帯は第一岡崎海軍航空隊の跡地であるらしく、予科練の碑が立っている。


〈義経は浄瑠璃姫にももてた〉
予科練の碑

今の海上自衛隊であるが、横須賀基地で建造したばかりの潜水艦に搭乗させてもらったし、岩国基地では水上救援機US1ーAに搭乗させてもらい、瀬戸内海に着水・離水するという貴重な体験をした。

松戸の教育施設ではヘリコプターで幕張までの往復と、隊員のヘリでの救難訓練をまぢかに見学させてもらったり、ジェット機のシミュレーターを操縦させてもらったりもした。


また、相模湾沖の観艦式のリハーサルや、武道館の自衛隊音楽祭りにも招待していただいた。


〈予科練の碑〉
 というわけで、いろいろ世間を騒がせている防衛省・自衛隊ではあるが、親近感があるのでその碑も写真に撮ってきた。

ちなみに右の写真は、岩国で体験搭乗をした水上救難艇US1ーAである。

東海道には関係ないが、貴重な体験であった。


〈US1-A〉
無量寿寺

宇頭一里塚跡を過ぎた先の左手に二本の松が並んでいて「助さん格さんの松」と表示があったが、「夫婦松」とも表示があり、「どっちかにしてくれい」と喜多さんにツッコミをいれながら通り過ぎる。

本日のメインイベントは、在原業平ゆかりの「無量寿寺」である。

伊勢物語で業平が、「かきつばた」の五文字を句頭におき

からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもう

と詠んだあの八橋のある寺である。


〈かきつばたの無量寿寺〉
【第39次 知鯉鮒宿 業平のカキツバタで有名な八橋のある無量寿寺】

〈知立・首夏馬市 江戸より39番目の宿〉
池鯉鮒の馬市

 知立の松並木は、馬市のときに馬をつなぐために側道がついているのが特徴で、四月末から五月最初にかけて(ちょうど今のゴールデンウィークと重なる)馬市が有名であったという。

広重も五十三次池鯉鮒宿の題材に首夏・馬市を選んでいる。

〈知立の松並木 馬がつながれていた〉
八橋

山と渓谷社の「東海道を歩く」には、『五月には3万株に及ぶカキツバタが花をつけ、日本最大のカキツバタ園を堪能することができる』とあったので、季節はずれではあるが期待して東海道から1キロ近くを歩いた。

しかし、何じゃこりゃ。季節はずれの雨の中とはいえ、なんともさびしい。

カキツバタ園は荒れ放題。どういうわけかザリガニの遺体が散乱している。

猫が食べるのだろうか。


〈在原業平の八橋〉
かきつばた姫の墓

参拝客が一人もいないので本当に2〜30万人も見物に押し寄せる寺なの?と疑いたくなる風情であった。

それでも、八橋やかきつばた園を一応見学し、かきつばた姫の墓にお参りし、「またこりゃいい季節に来なきゃいかんな」と喜多さんに言って寺をあとにした。


〈かきつばた姫の墓〉
馬市跡碑

また東海道まで一キロを歩き来迎寺交差点まで戻って少し西に行ったところに立派な一里塚がある。
「来迎寺一里塚」である。

その先は古い松並木が続いており、まもなく池鯉鮒宿に入る。
松並木が終わる辺りに「馬市之跡碑」がある。


〈知立は歩道橋もマンホールもかきつばた〉
 本日の東海道歩きは、ここでおしまい。

ほとんど一日中雨に降られて大変ではあったが、今日は旧東海道沿いに建っている「知立セントピアホテル」に泊まるので気分が楽だ。

雨の中を一日中さんざん歩いたので、食事は店で何か買っていって部屋で食べることにする。

ちょうどホテルの目の前におおきなスーパーがあったので、寿司や惣菜やビールなどをしこたま調達してチェックイン。

〈池鯉鮒馬市跡碑〉
知立セントピアホテル

きれいで気持ちのよいホテルであった。
冷えた体を風呂であっためて、喜多さんと二人でビールと買ってきた食材でおなかを満たす。

極楽、極楽。

本日は、明日に備えてさっさと寝ることにする。


〈知立セントピアホテル〉
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