〈16日目〉 平成19年 5月26日 土曜日 晴れ 箱根湯元〜三島宿 (後編)
【第10次 箱根宿 天下の嶮と入鉄砲・出女改めの関所 箱根西坂】

〈箱根・湖水図 江戸より10番目の宿〉
 
芦ノ湖と富士山

 急な坂を下りきるとすぐに芦ノ湖に出る。芦ノ湖脇の大きな杉並木を、喜多さんと二人で感嘆して見上げながら通り過ぎる。芦ノ湖畔の「賽の河原」を通りかかると、目の前に雄大な富士山が広がった。

何度見ても、芦ノ湖と富士山は名コンビで、手前の箱根神社の赤い鳥居がワンポイントとなって、素晴らしい景色が広がる。

 

〈芦ノ湖と富士山〉
   
 
〈令和3年7月 コロナ禍で県をまたいだ移動は自粛という中で、ぎりぎり神奈川県の箱根に散歩に来た〉
   
 
〈平成19年に歩いた時には気づかなかった箱根旧街道一里塚を発見〉
   
 富士山が見える街道を歩くのは、空気の澄んだ冬から春先にかけてが望ましい。せっかく富士山の近くを通っても、夏場にはほとんど見ることができないからだ。京から下ってきた旅人は、芦ノ湖の向こうに富士山を見てしばしたたずんだことだろう。

弥次さんも高校生のとき初めて富士山を見て、想像したよりずっと高い位置に山頂があったのに驚いたことがある。

〈旧道沿いの杉の大木〉
   

〈箱根旧街道の杉並木 F・ベアト幕末日本写真集より〉  〈箱根宿 F・ベアト幕末日本写真集より〉
 
 芦ノ湖と富士山に別れを告げ、箱根からいよいよ三島に向けて下り坂になる。ここまではだいたい事前に立てた予定通りの時間で来られた。コンビニで買ったおにぎりを食べたがあまりおなかもすかない。

箱根峠の手前で旧道から自動車道に出るが、このあたりは歩道もなく、車がスピードを緩めることなく通りすぎるので道を渡るのが怖い。地図を見ながら歩いていると、向こうから同じような格好をした同世代のおじさんが歩いてくる。喜多さんと「歩いてる、歩いてる」と小声で言ってると声をかけられた。三島側から来たので、小田原方面に行く人かと思ったら、この先まで行って道がわからないため引き返してきたのだそうだ。

〈谷川に寄り道〉
   
 箱根峠の先からの旧道がわからないという。どうみてもこの道でよいと思われるのでそう教えてあげて、一緒に行ってみましょうかと歩き始めたが、いつの間にかいなくなっていた。信用してもらえなかったようだ。

我々弥次喜多夫婦は、峠を少し下った先に右に折れる道を見つけ、旧東海道の標識も見つけたので安心して進もうとしたが、さっきのおじさんが自動車道の方をまっすぐに歩いてゆくのが見えた。喜多さんと二人で走って行って大声で呼んであげる。やっと気付いたおじさんは照れ臭そうに正しい旧東海道に合流。

〈接待茶屋跡〉
   
 このように旧東海道を探しながら歩くのは結構難しいのだ。うっかりすると、すぐに新しく作られた直線の道路に入ってしまう。平成の弥次さんも、最初はつい歩きやすい道に入ってしまっていたが、半年も歩いていると、最近では旧道がにおいで分かるようになってきた。しかし、旧街道歩きの達人の域に達しつつある・・・というのはまだ早い。
〈秀吉がかぶとを置いたというかぶと石〉
   
笹のトンネル

 ほどなく笹のトンネルを通りぬける。この辺りまで先ほどのおじさんと同行していたが、いつの間にか姿が見えなくなってしまった。

秀吉が休息のときに兜をおいたという「甲石」や「明治天皇小休止跡」を見て、民家の脇を通り自動車道を横切る。明治天皇が休んだところの碑は東海道中どこに行っても残っている。かつての高貴な人の入った湯は人々がありがたがって飲んだりしたというから、記念碑は地元の人の自然の発露だろう。

〈笹のトンネル〉
   
雲助徳利の墓

 さらに石畳をくだり、また自動車道に合流する手前に「雲助徳利の墓」があった。雲助徳利はもとは侍であったが、酒好きで食い詰めて箱根の雲助になった。もとが侍なので、字が読み書きできない雲助の代わりに手紙を読んでやったり代筆したり、親切にしてやったらしい。死んだときに雲助仲間が立てたのが、この「雲助徳利の墓」だ。盃と徳利が浮き彫りになっている珍しい墓だ。

〈雲助徳利の墓〉
 
山中城跡

 その先には、秀吉の小田原城攻めで落城した「山中城跡」があり、城跡には堀や土塁が残っている。喜多さんは疲れたから待っているというので。駆け足でこの土塁跡を見て回った。この城は秀吉のために一日で攻め落とされたという。城跡にたたずんで世の無常を感じる。

この先に長い急な下り坂がある。下長坂である。もちろん三島側からくれば急な上り坂ということになるが、背負っていた米が汗と暑さで強飯になってしまったという話しから「こわめし坂」と呼ばれていたそうだ。確かにびっくりするほどの急坂だ。くだりでよかった。この坂を上るのは大変だ。

〈山中城跡〉
   
三島大社の鳥居

 「臼転坂」や「錦田の一里塚跡」を過ぎ、松並木を行くともうすぐ三島大社が見えてくるはずだが、このあたりから足がつらくなり、喜多さんはもう歩けないという。コンビニで缶コーヒーを買って、少し休みながら三島大社を目指す。

やっと三島大社の鳥居にたどり着き、これで2月24日に三島大社から歩いた道とつながったので、バスかタクシーで三島駅まで行こうとしたが、バスもタクシーも来ない。仕方がないので三島駅まで歩くことにしたが、喜多さんが途中で一歩も歩けなくなってしまった。あと2〜300mで三島駅だというのに箱根八里はさすがにきつかった。

〈三島大社の鳥居〉
 帰りは三島駅から新幹線で帰ることにして、ホームに来た「ひかり」に飛び乗った。ワゴン販売のビールを
買って二人でぐびぐび飲み干す。さすがにひかりは早い。見る見るうちに熱海を通りすぎ、小田原を通りすぎ、
この頃からふと不安がよぎる。新横浜もあっという間に通りすぎ品川までノンストップで行ってしまった。
仕方なく、品川からこだまに乗り新横浜駅まで帰る。

このようなオチをつけ、箱根八里の旅は終わった。
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