〈11日目〉 平成19年(2007)3月17日 土曜日 小雨のち曇り 江尻宿~府中宿~丸子宿 | |
【第18次 江尻宿 三保の松原と清水港】 | |
〈江尻・三保遠望 江戸より18番目の宿〉 |
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薩埵峠を目指す 喜多さんと二人で、磯子発5時34分の根岸線に乗り込んだ。この頃は早朝の出立にもすっかり慣れてきた。大船駅で6時4分発の東海道線に乗り換え由比を目指す。 今日は、箱根越えとともに東海道歩きのハイライトともいうべき「薩埵峠(さったとうげ)」を歩くつもりなのである。 |
〈三保の松原からの富士〉 |
青春18きっぷ 青春18きっぷが使える春休みの間になるべく遠くまで行っておくつもりなので、ここのところ毎週 のように西に向かっている。先週は家族で草津温泉に行ったので東海道を歩けなかったが、3月4日の 沼津宿~原宿、蒲原宿~由比宿、今回の江尻宿~府中宿~丸子宿、24日の丸子宿~岡部宿~藤枝宿、 31日の藤枝宿~島田宿~金谷宿、4月7日の金谷宿~日坂宿~掛川宿~袋井宿と休みのたびに旧東海道 歩きに出かけていることになる。 こんなことができるのも青春18きっぷのおかげだ。1日1,600円でどこまで行ってもJRの普通電車が 乗り放題だ。本来は5回分で11,500円なので、1回分は2,300円なのだが、この春はJR創立20周年記念 ということで5回分8,000円。1回分1,600円で一日乗り放題。本当に助かる。いいタイミングで東海道 歩きを始めたものだとわれながら感心する。しかも、各駅停車の旅の楽しさも体験してわかった。 今までは目的地に着くことが優先で、途中の風景を楽しむ心の余裕がなかった。 単に歳をとって気が長くなっただけかもしれない。 |
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〈JR20周年の青春18きっぷ 8,000円〉 |
〈普通の青春18きっぷ 11,500円〉 |
途中、熱海で乗りかえたあたりで雲行きがあやしい。天気予報では晴れだったのに、空がどんよりと |
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稚児橋の河童伝説 清水銀座の先の巴川にかかる稚児橋には四隅に河童の像がある。この稚児橋は家康の命によりかけられたが、渡り初めのときに川の中から稚児があらわれ、府中の方へ消えていったという。その稚児は巴川の河童であろうということで、橋の四隅に河童の像が建てられたのだそうだ。 その稚児橋を越えた先の老舗「追分羊かん」に人だかりができていた。何とかウォークの人たちにお茶とお菓子をふるまっていたのだ。弥次喜多夫婦もちゃっかりと、何とかウォークの人になりすましお茶とお菓子をいただく。 |
〈稚児橋の河童像〉 |
〈平成22年1月24日に再び訪れて撮った河童たち〉 |
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〈追分羊羹にも再び訪れた〉 |
〈これが300年変わらぬ追分羊かん〉 |
追分羊かんは300年続く老舗 この店は「追分羊かん」といって、江戸時代から続く老舗らしい。無料で配っていたお菓子は 羊かんではなかったので、喜多さんが小ぶりの羊かんを買って食べながらその先を歩く。この羊 かんは竹の皮に包まれて蒸してあるので山口の外郎に近い感じであったが、喜多さんはおいし かったのでもっと買えばよかったと後々までも悔やんでいた。 この清水市は、清水の次郎長で有名であるが、この追分羊かんの手前にも、森の石松をだまして 殺した都田吉兵衛、通称「都鳥」が仇を討たれたという供養塔が建っている。 |
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今までの広重の「五十三次」に対応する写真は、それなりに広重が題材にした場所が感じられる雰囲気を持っていたと思うが、江尻ばかりは今はまったく海が遠いし、三保の松原を遠望できる場所もない。だから今回の広重の絵に対する写真は、昨年9月23日に「吉田拓郎とかぐや姫のつま恋コンサート」に行ったとき、清水に泊まったついでに三保の松原を訪れたときの写真を使った。 東海道歩きとは関係ないが、あの日本中のおじさんおばさんの拓郎とかぐや姫ファンが3万5000人も集まった、伝説のコンサートはよかった。チケットは15分で完売したという。よかったけれど、どのホテルも満室で掛川から清水まで50kmも戻らなければホテルが取れなかったのだ。 |
〈関係ないけど拓郎とかぐや姫つま恋コンサート〉 |
草薙神社 草薙一里塚を越えた先に草薙神社の大鳥居があったので、せっかくだから寄っていくことにした。この鳥居から左に折れ、日本平方面に1.2km ほど歩いたところに草薙神社はある。この神社の場所は、日本武尊が焼き討ちにあい、草を剣で薙ぎはらって難を逃れた場所だという。小学生の時、子ども向けの神話の本で読んだことがある。その時の挿絵まで覚えているような気がする。街道を歩くと日本武尊はあちこちに出てくるが、行く先々で災難に遭っているみたいだ。 弥次さんは完全に勘違いしていて、三種の神器のひとつ「草薙剣」はこの草薙神社にお祭りしてると思い込んでいた。こんな小さな神社に保管していて大丈夫なのかと本気で心配した。 |
〈このあたりで日本武尊は焼き討ちにあった〉 |
勘違いとは恐ろしいもので、このような小さな神社に保管してあるわけがない。実際はずっとのちに行くことになる宮宿〈今の名古屋市)の熱田神宮に保管してあるのだった。 ここで、三種の神器に関するおさらいをしてみよう。三種の神器とは・・・八咫鏡(ヤタノカガミ)、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)またの名を草薙剣(クサナギノツルギ)の三つをいう。前者二つは天の岩屋戸に隠れた天照大神(アマテラスオオミカミ)を外界に連れ出すための呪術に使われたといわれ、伊勢神宮に祀ってある。草薙剣は、のちに天照大神に奉り、日本武尊の東国征服に大いに役立ったと言われる。この三種の神器は天皇家の祖「ニニギノミコト」が、天界から降臨した際、天照大神より授けられたものだという。(ウィキペディアより抜粋) |
〈いくらなんでも三種の神器の草薙の剣が・・・〉 |
というわけで、東海道からはずれて1.2kmも歩いたので帰りはバスで帰ることにした。 東海道沿いの大鳥居までバスで戻ると、また旧東海道を探しながら歩く。草薙駅を右に見て、 県総合運動場の脇を西に向かう。この先の線路を渡って、線路の右に出なければならないの だが、道がわからず陸橋を越えた。どうも地下道をくぐって線路の右に出るのが正解だった らしい。静岡鉄道の「長沼駅」を過ぎると、右手に護国神社の大きい森が見えてきた。 「柚木駅」を通りすぎると、旧東海道がJR東海道線で行き止まりになっている。ほとんどの 旧道は踏切で分断されても続いているものだが、この道は本当にブチっと切れたままそこで なくなっている。仕方がないので、迂回して続きの旧東海道を探す。 |
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【第19次 府中宿 徳川家康が少年期と晩年を過ごしたところ】 | |
この先からは「府中宿」だ。駿河国の国府が置かれたところから「駿府」ともいわれる 府中宿は、徳川家康が少年期と晩年を過ごしたところで、また十返舎一九が生まれたところ でもある。喜多さんは隣の江尻宿で生まれたことになっているが、弥次さんはこの府中で生 まれたことになっている。東海道中膝栗毛の作者は、自分の生まれ故郷を弥次さんの出生 地にしたのであろう。この辺りは空襲で焼けたのであろうが、江戸時代から残っているような 史跡は見当たらない。家並みも新しい家ばかりだ。府中の商店街を抜けたところの公園で鳩 がいたので、喜多さんがクリームパンを投げてやったら集まるわ集まるわ。鳩は足にも乗って きて奪い合いをしながら食べるので、くちばしがクリームパンのクリームまみれになっていた。 |
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200年続く安倍川餅の石部屋 この先には安倍川があり、安倍川餅で有名な「石部屋(せきべや)」が200年前から餅を売っている。石部屋で「あべ川餅」と「からみ餅」を食べた後で、この安倍川餅を作っている不愛想な若主人と話しをした。教えてもらったところによると、この店は200年前から続いているそうで、いまだに全部手作りで餅をくるんで作っているそうだ。餡で包んだ餅ときな粉をまぶした餅もうまかったが、わさび醤油でたべるからみ餅もうまかった。 店を出るときに、安倍川駅に行くにはどうしたらいいか聞いたら「静岡駅の方が近いよ」と教えてくれたが、無視して安倍川を越えることにした。ただの観光客に見えたのだろうが、京都を目指す旅人だということは黙っていた。 |
〈200年続く安倍川もちの石部屋〉 |
安倍川義夫(よしおではない、ぎふと読む)
石部屋のとなり、安倍川の手前に「安倍川義夫碑」がある。紀州の旅人がこつこつためた150両を、旅の途中で川の渡し賃をケチって歩いて渡るときに川に落としてしまった。それを拾った川越人足の喜兵衛は財布をもって追いかけ、宇津ノ谷峠で探していた落とし主に出会い財布を返した。旅人は礼金を申し出たが、喜兵衛は受け取らなかったという。旅人はそのままでは気持ちがすまないから、お役所に申し出たところ、喜兵衛はお役所から呼び出されてほめられた上に、褒美をもらったという。 |
〈石部屋のからみ餅とあべ川餅〉 |
今日のところは安倍川駅から帰ることにして、途中出会ったおばあさんに駅への道を聞いたら、押していた自転車のスタンドを立てて丁寧に教えてくれた。教えてくれた道の途中には「赤い橋」があると言っていたが、ついに「赤い橋」は見当たらなかった。どうも教えてもらった道とは違う道を歩いたらしいが、無事に駅にたどり着いて、先ほど石部屋で買った「安倍川餅」を息子のお土産にして青春18きっぷで帰る。 写真は府中で見かけた「しぞーかおでん」屋ばかりが集まっているおでん街。時間があれば寄ってみたかった。 |
〈しぞーかおでん屋さんが大集合〉 |
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