〈10日目〉 平成19年 3月4日 日曜日 晴れ 藤川~岩淵宿(間の宿)~蒲原宿~由比宿
【第15次 蒲原宿 土蔵造りの家屋や黒塀など昔ながらの建物が多く残されている】

〈蒲原・夜の雪 江戸より15番目の宿〉
蒲原宿へ

 前回は沼津宿「乗運寺」の若山牧水の墓にお参りしたところで終了したから、この日はその続きを原駅まで歩いた。原駅から先はすでに歩いていたから、原から電車に乗り富士駅で乗り換え、身延線柚木駅に降りる。

前回は柚木から国道を歩いてしまったが、今回は喜多さんと一緒に旧道を探しながら歩く。前回間違えた道をまた歩いていると、地元のおじさんに声をかけられた。どうもこの道はちがうらしい。おじさんの言う道を行くとはたして常夜灯があり、旧道の確信を得る。

〈なまこ壁の佐藤家〉
富士川渡船場跡

 しばらく歩いて2月3日に一人で渡った富士川を、今度は喜多さんと二人で渡る。橋のたもとには「富士川渡船場跡碑」があり、本来なら舟で向こう岸に渡りたいところであるが、現在は当然ながら営業していない。

今日は前回と違って曇っており、富士山は見えない。富士川を渡り切ったところで右に折れ、国道を横断して階段をのぼり、間の宿「岩淵」に向かう。

〈富士川の渡船場跡〉
 
間の宿岩淵宿 小休本陣 常盤家

 間の宿とは、宿場と宿場の間が長いところでは、休憩するために設けた小ぶりの宿場のことを言う。ここの本陣跡が公開されていたので入ってみると男性が案内してくれた。立派な木を使った家が残されているが、今は人が住んでいない。裏にもう少しこじんまりとした家があったので、そちらに住んでいるのだろう。

この家は女優の常盤貴子さんの実家なのだそうだ。ガイドにも「小休本陣常盤家」と書いてある。案内のおじさんが、我々が横浜から来たというと、常盤貴子さんもいま横浜に住んでいるらしく、そう教えてくれた。街角のよろずやみたいなところで観光案内地図をもらい蒲原宿を目指す。

〈間の宿岩淵本陣 常盤家〉

〈岩淵宿一里塚〉
 
〈岩淵宿の旧東海道〉

〈東名高速を渡る〉

〈天保14年(1843)に普請した新坂〉
   
 
〈東名高速を渡る橋からの東名と富士〉
 やがて東名高速道路をくぐり、新幹線のガードをくぐり、しばらく歩くと東名高速を渡る橋があった。
いままで何十回となく走った東名高速だが、ほとんど景色も見えないため、何も思わず走っていた。
これからは「あ この橋を歩いて渡ったな」とか思うのであろう。
 

〈蒲原宿へ向かう坂道〉            〈蒲原・夜の雪〉

〈蒲原宿常夜灯と日本軽金属水力発電〉
 
旅籠和泉屋

 次の蒲原宿は、旧東海道を歩き始めて一番の風情のある町であった。この先もっと風情のある町もあったが、ここまではわりと都会で、たぶん空襲で焼かれた町が多かったのだろうと思う。いままで歩いてきた範囲では、町中が江戸情緒豊かな町などなかった。

土蔵つくりの家屋や黒塀など昔ながらの建物が多く残されており、いまでも大切に保存しながら人が住んでいるのがわかる。渋いみやげ物やさんでコーヒーが飲めるようなので入ってみた。寛政年間(1854~1860)に建てられた旅籠「和泉屋」をそのまま利用して町が経営しているらしい。

〈かつては旅籠の和泉屋〉
蒲原宿本陣

 手前がみやげもの、その奥に喫茶スペース、二階からは向かいに本陣の建物が見える。店のおばさんと東海道の話をしながらコーヒーをいただく。

この蒲原宿は、今まで歩いてきた宿場の中では、本当に古い家がよく保存されている。地元の方の保存にかける意欲が伝わってくる。

〈蒲原宿本陣〉
歯科医 五十嵐家

 後日、喜多さんと歩き直した際、前回立ち寄らなかった明治から大正時代に歯科医をされていた五十嵐家を見学させてもらった。平成13年の東海道400年を機に資料館としてオープンされたものだという。案内してくださった女性はNPOボランティアで、隅から隅まで丁寧に案内してもらった。間口はあまり広くないので、大きくは見えないが、奥行きがありとても大きな家だ。奥には中庭があり、その奥には土蔵もある。

子孫のおばあさんが一人で住んでいたらしいが、町が買い取って1億円かけて修復したのだそうだ。新しい箱物はお金をかければどんどん建つが、このような歴史遺産は取り壊したら二度と復元できない。大事にして欲しいと思う。

〈歯科医 五十嵐家〉
蒲原夜の雪碑

 東海道五十三次のうち有名な「蒲原夜の雪」は、どうも広重が想像で描いたらしい。広重が絵を描いただあろうと思われるところに石碑が建てられているが、どうもこの絵に該当するような場所は見当たらないという。

やがて高札場を過ぎ、直角に曲がった枡形を折れると「西木戸跡」がある。ここでしばし休憩して由比に向かう。

〈蒲原・夜の雪石碑〉
東海道広重美術館

 一里塚跡を過ぎ、お七里役所跡を過ぎると、本陣跡や「東海道広重美術館」がある。基本的に資料館や美術館があると、すべて入ってみることにしているので早速入ってみる。さすがに「広重美術館」というだけあって、広重のほんものの東海道五十三次のすべてが展示してある。

当然だが、みやげで買った絵はがきの五十三次とは違う。館内は版画が退色しないようかなり薄暗い照明になっている。帰り際に体験コーナーで版画の刷りを試してみたがなかなかむずかしい。
正雪紺屋

 
美術館の向かいに「正雪紺屋」がある。由比正雪の生家だという。ここで、喜多さんはさくらえびを買った。店番をしていた奥さんが自分で干したものだという。このあたりはどこもかしこも桜エビだ。この桜エビは目の前の駿河湾でしか取れないらしい。由比駅の前に立派な桜エビのモニュメントがあった。


〈ここでしか採れない桜えび〉

〈さくら海老のモニュメント〉
 本日はここでおしまい。
次回はいよいよ東海道歩き前半のクライマックス「さった峠越え」だ。
 このページは、自分でとった写真ではなく、もらってきたガイドからの流用がやたらと多い。
実はパソコンに保存したあと、デジカメのSDカードデータをほかの写真を撮るために削除してしまったのだ。
そのあとで悲惨な事件が起こった。パソコンがフリーズしてどうにもこうにも動かなくなってしまった。
仕方がないので、OSからインストールし直したため、PCに保存してあった写真がみんなどっかへ
いっちゃたのだった。すぐに外付けHDを買いに走ったことはいうまでもない。

追記:後日歩き直してきたので新しい写真を載せておきます。
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